リアリティ・アサイラム
もういちど貼ります。
まだ全部は読んでないんです。実は。色々思い出してツラいってのが主な理由なんですけどね。それでも貼って話をすることにしたのは、この著者が私と同じところに逃げ込んでいたから。
四谷大塚進学教室
下の方の会場でぐだぐだしていた私と違い、彼はいい会場のいいクラスにずっと通い続け、結局慶応に受かってましたが(おおお、秀才だー)。このまま公立中(中学は私と同じ学区になるので西中ですね)に進むのは絶対に嫌だという思いは私も抱いていましたから、理由は違えど取った方法が一緒と言う点を知って愕然としました。
しかし彼は慶応では幼稚舎上がりのボンボンと一緒に勉強するハメになったので、進学したら敬虔なプロテスタント系クリスチャンのお嬢さん方(私の母校では「通ってる教会」を書かされました。ないって言ったら比較的近所の教会を紹介されて閉口した記憶が)に囲まれてしまった私よりももしかしたら居心地は悪かったかも。彼や私だけでなく、団地から中学受験をした人は多分みんな同じような思いを味わったんじゃないかなと思う。均質で中庸な場所から坊ちゃん嬢ちゃんの中に飛び込んでしまったワケですし。
塾にいる時は学友のバックグラウンドまでは見抜けなかったのよねえ。
私の場合は自身の性癖に由来した疎外感(診断ついてないけどADHDのケはあると思うの。集団生活には実に不向きな障害なんだよなあ)もあって逃げ場を塾に求めたんですが、塾の友達はそんなに出来なかった。日曜テスト会場の池袋の専門学校で、休み時間に階段をいちばん上まで上がってって下をぼーっと見下ろしていた時の風景が忘れられません(同じように階段の踊り場に寄り付いていた子は数名いました。結局話しすらしなかったけど、もしかしたら彼らも多動型の秀才だったのかもしれない)。
日曜早朝、あるいは昼前に、バスと電車を乗りついで団地から塾に向かう子供たち。
彼らの背後にはどんな修羅場が広がっていたんだろう。
原さんには、次は四谷大塚に逃げ込んだ子供たちを追っかけてほしいと思うのは私だけかしらん。中学受験のはしりの時期にその道へ進んで行った子たちの中には、少なからずそれぞれの生きづらい事情を抱えていた子が混じっているような気がするのよ。
追記:
それにしても、滝山団地って、近所に寺も神社もないの。元々は「帰らずの森」て言われてたエリアだったらしいです(先生に聞いた)。駅からも離れているし、もしも老朽化から建て直しの話が起きたとしても住みたい人が集まるかどうか怪しいような気がする。東久留米には他にも駅からバスに乗らないと行けないようなエリアに幾つか大きな団地があるんだけど、一体どうなっちゃうんだろう。なんかうっすらと怖いです。
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