本屋に行きました。
去年だったかの大改装を機に横浜西口のダイエーに入った本屋は色々充実してます。
デザインや写真の本も結構入ってます。
便利になりました。
.........でもね。
昔はそういうコーナーってわくわくしながらいろいろ読み込んだのに、今はもう何もあたまに入ってこないの。ああそうだったな、ふーん、で、先がないのよ。
そう言えば出産で休職するとき、CD屋でふと思ったんだった。
気合いを入れて見ることをしないと錆び付くぞ、て。
もー錆びどころのレベルじゃないものね、これ。
リタイアするってこういうことだったんだわ。
昔はこういうことを発信する側に居たはずだったのに。
力の入らない目でただ本棚を眺めるのはとてもかなしい。
どのくらい前だったか、思いついた言葉があるのよ。
「余生と思えば腹も立たない」
グレープフルーツみたいなあたまの人形が人形売り場を占拠しても、
昔の友達がセレブになったり出世したりしても、
面白くもないアニメのグッズがバカ売れしていても、
死んでしまっていれば知り得なかったこと。
今ここにいるのは家族とまわりの人の為。
自分と家族と少しの平安だけを考えて残りの人生を生きて行けばいい。
.......そんな人生は全然想定してなかった。て言うか以前はそんな風には生きてゆきたくなくて長い間ひとりで疾走し続けていたはずなんだけど、でもね、病気を境にして私自身が静かに少しずつ枯れていっている感じがするのよ。もうどうしようもないって言うか。
いずれにせよ知らされる運命ならば、もうまみれてしまうしかないでしょう。
去年の今頃はまだもがいていたのよね。
戦わない私は私じゃない、って。
でもなんて言うか、いろんなところで打ちのめされてしまって。それに戦うと言ったって、そうまでして守りたいと20年近くも思いつづけていたものがあの通りなんだもの。
私の力が及ばなかったのかと自分を責めたところで、もうどうすることもできないし。
あの子のいない人生は闇。
他の全てが満たされていたとしても。
「時は春
まさにこの世は春
桜の小径を歩むのに
導く腕は要らないけれど
出来ることなら
桜の枝は
あなたと共に見上げたかった」
随分前にこっそり書いた詩の一部ですが、まさかそれが昨今の人形ブームにまで当てはまってしまうとは思いたくなかった。書いた当初は波紋エリーを偲ぶ為に紡ぎ出した言葉だったんだけど。
続く言葉がこんなんだったんだもの。
「天国に行けたとしても
あなたがいなければ闇」
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