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2014年8月 5日 (火)

Nest(巣)

所謂ドールハウスに、憧憬と違和感とをずっと抱き続けてきました。
その原因が、人間スケールの単純な落とし込みにあることに気付いたのは比較的最近だと思います。

よく物語に出て来る小人や妖精の家。
どこかに巣食って、自分の住みやすいように手を加えてあるそれがずっと大好きで、自分でも木のうろや地下に作られた家の絵を延々描いていたものです。
長じて人形と暮らすようになり、そこで人形の家を買って家具を買って、というフツーな展開に初めて微妙な居心地の悪さを感じたのですよ。最初は自分の手で作ったものではないから(買った物だから)微妙なセンスの食い違いから来るのかなぁと思ってましたがどうやら違う。
私が人形の住まう空間に求めているのはきっちりと整えられた「家」ではない、ということなのではないかと。
住処を離れる前のアリエッティの家が(人間からの貰い物で使い勝手の悪い)ミニチュア満載になっていた、あの風景をご想像して頂ければ私の違和感もちょっとは判って頂けるかな。

では実際に人形達はどうしてきたかというと、いつしかどこかの一角に居着き、そこで居心地のいいナニガシか(ソファだったりベッドだったり小物だったり)が流れ着き、どんどん巣になっていく。いい感じに熟成されたところでいいかげん片付けろとダンナのカミナリが落ちる。この繰り返しで20年やってきました。
でもね、この巣作り、たぶん習性だと思うの。
もう、私の前世はちまちま可愛いもの引っ張り込んであずまやを建て、ちーよちーよと女子を呼ぶ庭師鳥なんじゃないかって気もして来た。

と思ってたら竹久夢二が私の心境まんまの詩を遺してたよ。

ネスト

 緑色のカアテンをひきませう 
 ひとにネストをしられぬやうに。

 そつとしづかにやすみませう 
 かあいゝ小鳥のめさめぬやうに 

 あまりよろこびすぎぬやうにしませう。
 いたづらな運命にねたまれぬために。

最初のジェニーをこっそり愛でていた頃、箪笥の上に作っていた部屋から彼女を連れ出し、そっと膝や机の端に小鳥のように乗せては本を読んだり書き物をしていたりしていたことを思い出しました。
ああ小夜子(最初の子の名前)、私はもう一度あの頃のように巣を紡ぎたいよ。

ちょっと時間はかかるかもしれませんが(何しろ元々が流れ着くものだし)、そういう巣を吹きだまりとして終わらせずに作品として作って、いつかどっかで展示出来たらいいのになあってぼーっと思ってます。
きっと床に近いところで人形がぐだぐだしてるのになると思うんで、普通にドールハウスな人が見たら「?」かもしれないですがね。

でもなんか居心地良さそうって思ってくれたらそれだけで多分本望。

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